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  • 執筆者の写真kijomitsuru

私が宝塚を辞めた理由

更新日:2020年4月14日

私はいつも、「宝塚に入って良かった事はなに?」と聞かれるたびに答えていた事が2つある。

その2つとは、


  1. どんな事をしても、全て為になること

  2. "こういう女性に成りたい"と憧れる仲間が周りにうようよ居ること


だ。

芸事に携わる人は皆、「何かを感じること」は全て自分の引き出しになると私は思う。映画、舞台、絵、音楽、読書などは勿論、"あぁこのスープ出汁が効いてて美味しい…"とか、"雨の匂いって好きだわぁ"とか、"今日の湯加減、最高!"だって良い。

何処か知らない国に行って、知らない文化を知る。気になっちゃって色々調べる。そうしたら偶然、ついこの間調べた国・背景が舞台の作品に出演する事になった、なーんて事が何度もあった。

こんな事もあった。

正塚晴彦先生の「Kingdom」という作品で、私はチンピラの役と宝石職人の役の二役を頂いていた。ある日のお稽古帰り、「よし今日はチンピラ役(役名はすっかり忘れましたごめんなさい)の参考になりそうなDVDを物色しよう」と思い、TSUTAYA宝塚店へ向かった。その時借りたのは計10本。その中で息抜き用にと、全く関係なさそうな内容のDVDを、確か3本ほど借りた。ある日、資料を見る事に疲れてその"息抜き用"のDVDを流し始めた瞬間、正に私のもう片方の役である実在人物"宝石職人アッシャー氏"がものの開始5分で登場したのだった。

息抜きしようとしたら、"為になった"。


2つ目に関しては、もう説明は要らないと思う。

宝塚の生徒というのは皆、本当に良い人、いい子、良い女(男)なのだ。

私は宝塚歌劇団に、"ぶりっこちゃん"は居ないと思っている。もし"ぶりっこちゃん"に見える人が居たとしても、その人はぶりっこをしているのでは無く、ただただ可愛いだけなのだ。(違ったらどうしよう)

綺麗で優しいお姉さんが大好きな私は、職場(劇団)でいつも興奮し、デレデレしていたように思う。


そんな大好きな場所を何故辞めようと思ったのか。


私には小さい頃からずっと、"外国に住む"という行為に憧れがあった。 レンガのお家に絡まる蔦の葉っぱ、咲き乱れるデイジーの花々、大きな焼き立てのパンをかじりながら、美しい石畳の小道を歩く、、、

そもそも学生の頃、宝塚受験を志していた私は「きっと受かりっこない」と思っていた。

だったら落ちた時に傷つかないように、将来の夢を決めておこう。きっと落ちるのだから。何にしよう?あ、外国に行けるし、スッチーが良いな、スッチーやりたい!スッチーに決めた!等と思っていた。本当に。 だから宝塚音楽学校に合格した時は相当びっくりしたし、本当に本当に跳び上がる程嬉しかったのだけれど(実際跳び上がった)、宝塚に入って男役を演りながらも、私の中にある"外国への憧れ"は消えなかった。


今でこそ旅好き、1人旅は更に大好きな私(この間なんて前日の夜中23時に飛行機のを予約し、翌朝10時の便でドイツへ飛んじゃった、なーんて事もあった)だけれど、私の"人生初・海外旅行"は、22歳の時だった。だいぶ遅めだ。


その旅行先はロンドン&パリ。合計7日間程の小さな旅で、私の身体にびびび!と、雷が走った。


「ズルい。こんなに可愛いお家に住んで。」

「ズルい。こんなにお洒落なビルでお仕事できて。」

「ズルい。こんなに素敵な美術館が全部タダだなんて。」

「ズルい。こんなに素敵な劇場がうようよあるなんて!」

「ズルい。シェイクスピアが5ポンドで観れるなんて!!」

ズルい、ズルい、ズルーーーい!!!の連続である。

その記念すべき旅を機に、イギリスの劇場通いにまんまと嵌まってしまった私は、少しでもお休みを頂くと格安サイトで飛行機を探しては、イギリスに幾度も渡るようになってしまった。(あーあ)


私が求めていた旅は、お洒落なホテルに泊まったり、ショッピングを楽しんだりというものではなかった。ホテルじゃ無くて、どこかアパートみたいなところで"暮らしたい"。ドミトリーやシェアハウスで知らない人達と過ごし友達を作ったり、ホームステイをして現地の暮らしを覗かせてもらったり。ゆくゆくは、仲良しになった友人のお宅に泊まらせて頂くようになっていった。(図々しい)

朝方スーパーで買ったスコーン3個入りのお得用袋でその日1日を生き延びる。友人が作ってくれたサンドイッチを頬張りながら、ハイドパークでリスと戯れる。そんな感じの貧乏旅を、私はいつもめちゃめちゃ楽しんでいた。


そして、とうとう

「私、旅行じゃ無くて、やっぱり外国に住んでみたい」

と強く思うようになった。




宝塚に居ながら外国には住めない。


「…よし、宝塚を卒業して、外国に住んでみちゃおう!(国未定)」




これが、私の宝塚卒業を決めた"理由"であった。



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